So what?Yolo!について考えた

こんにちは。

2017年夏に開催されたSummerParadise2017、Sexy Zoneメンバーの公演の映像が遂に発売となりまして、ほんとうに嬉しくありがたい限りでございます🌞

わたしは松島聡くんとマリウス葉くんのコンビ、通称🌟聡マリ🌟のファン、通称リープリンです。

Summer Paradiseではケンティ、勝利くん、風磨くんはそれぞれソロでコンサートをやっておりますが、🌟聡マリ🌟は2人でやっておりました。

コンビのファンとしてはこんな幸せなことあっていいのか・・・・とその事実だけで胸が熱くなりましたが、内容もそれはまあ素晴らしく、、、映像発売まで例年より時間があったのもあって、発売が決まった日には高々とガッツポーズをキメてしまいましたね。きっとみなさんそうでしょう。わかりますよ。

 

聡マリ公演のタイトルは"So what?Yolo!"という、なんとまあ松島聡マリウス葉の名前をかけた上に天才的に語呂の良い、これだけで最高が確約されたようなタイトルだったわけですが、

見終わった後、僕らが言いたかったのはこういうことかな?って考えてみてほしい

と、聡マリが言っておりましたので、自分がSo what?Yolo!について考えたことをブログにしたためておこうかなと思い、キーボードを叩いた次第でございます。

 

そもそもSo what?Yolo!とは、直訳すれば"だから何?人生一度きり!"という意味(Yoloはyou only live onceの略で、なんか若者の間で使われるスラング的なもの)で、コンサートのテーマはなんと"人生とは何か"という、、、当時19歳と17歳、10代の青年にしては壮大すぎるテーマを掲げていたわけですが、聡マリのすごいところは、多少年上のわたしからしても驚くほど日頃から神話かと思うくらい軽妙に真理を突き過ぎるところ。そんな聡マリが人生について何かを伝えてくれるとなれば、こちらとしても期待が高まリープリンしてしまうわけで。。

 

導入から長々と書いてしまいましたが何故か映像発売4日前に突然So what?Yolo!への道が拓いたのでちょっと文字に残しておこうと思いまして。

あんまり大多数に向けてブログ書くの好きじゃないので不慣れなんですが頑張りますので、かなり長い上聡マリに関係ないことも長々と書きますがお付き合い頂けると幸いです。

 

 

サヴァン症候群とオリジナリティ

2月くらい?のある日の深夜、なんとなく垂れ流していたテレビでドキュメンタリーが始まりまして。とても面白くて最後まで見入ってしまったのですが、それが"後天性サヴァン症候群"の人の密着でした。

 

サヴァン症候群ってご存知でしょうか。。

知的障害や発達障害のある者のうち、ごく特定の分野に限って優れた能力を発揮する者の症状を指す。

・能力の例
  • 航空写真を少し見ただけで細部にわたるまで描き起こすことができる(映像記憶)。
  • 並外れた暗算をすることができる。
  • 音楽を一度聞いただけで再現できる。  

(Wikipediaサヴァン症候群のページより)

知的障害のある人がひとつ天才的な力を持ってたりするみたいな(全員じゃないと思いますが)、わたしのサヴァンに対する認識もまあこの程度でした。

 

ドキュメンタリーの男性は交通事故に遭って"後天的"にサヴァンが発症したらしく、今まで描いたことのない絵の才能が開花して、文字通り寝食を忘れて創作に没頭するようになってしまったそう。

番組内で彼は海外のサヴァン研究所みたいなところへ行くのですが、その道中、自分と同じ後天性サヴァン症候群の人のもとを訪れました。

そこで出会った後天性サヴァンの数学者に自分が描いた絵を見せるのですが、人並み外れた数学の才能を持つその人は絵を見てこう言いました。

 

「すごく綺麗ですね。この色や点の配置は自然界でよく見られるパターンだ」

 

いや録画も何もしてなかったので本当にこう言ったかは定かじゃないですけど、そのような旨のことを言ってました。

わたしそれを聞いてものすごくソワッとしてしまいまして。

 

彼の絵は点描画。筆に絵の具をつけ、色鮮やかな点を打っていく。完成したものは幾何学模様にも見える、おそらく自然物。彼いわく、脳裏に浮かんだイメージを落とし込んでいるとのことでした。

それは、少なくとも「写実的」とは形容しがたい作風。

 

わたし、なんとなくイメージでサヴァンで見られる能力は超暗記、または超コピーだと思っていて。見たもの、感じたものをそのまま機械のように高精度に処理できる能力だと思っていて。

だからわたしが"抽象的"だと思ったものが「自然界によく見られるパターン」って言われたのにとてもビックリしまして。

 

じゃあ「オリジナリティ」なんてないんじゃないの?

 

と、思ってしまいまして。。。

芸術的な抽象には独創がつきものだと思っていました。わたしも絵を描くから、脳裏にイメージが浮かぶという感覚には覚えがあって、そういう自分から湧いて出てくるものこそが「オリジナリティ」、いわゆる「個性」だと思っていました。

 

でも、湧き出てくる"個性"なんて本当は存在しないのでは。。

最近、個性を尊重しようってよく聞くけど、

ほんとうの"個性"って、無いんじゃない??

と、思ってしまった。自分から湧き出ていたものも無意識の内に何かを感じ取ってただけなのかなと思うと結構恐ろしくて、なんか当たり前に前提としてた概念が突然崩れたので、突然宇宙に投げ出されたような感覚になってなんかちょっと泣きました。

 

それがたぶん2月のことでした。

 

 

三法印(四法印)

そしてドキュメンタリーを見てから5ヶ月後の7月。

何故だかある日突然諸行無常という言葉が頭に浮かび(ほんとに何故)、その時に強烈に2月のソレを思い出しまして。

諸行無常」と「人に個性はない」

なんか繋がってる気がする!と思い、簡単に諸行無常でググってみました。

 

〜簡単にググってわかったこと〜

諸行無常というのは、仏教の根本的な考えである三法印の一つ。

そして三法印とは、諸行無常諸法無我涅槃寂静の三つから成り、また、一切皆苦を足して四法印と言ったりもする。

 

諸行無常

  • この世のあらゆる事物は、種々の直接的、間接的原因や条件によってつくりだされたもので、絶えず変化し続け、決して永遠のものではないということ。

諸法無我

  • あらゆる事物には、永遠、不変な本性である我がないということ。

一切皆苦

  • この世界のすべてが、結局はすべて苦であるということ

涅槃寂静

  • 悟りが絶対の静けさであること。

(コトバンクより)

 

ここから完全にわたしの自己解釈ゾーンにはいるのですが、、、

 

要約すると、

諸行無常は、たとえば鉄やら紙やら、物質は1秒ごとに劣化していくし、人は1秒ごとに成長して死に向かっていますと。1秒たりと変わらないものはないと。つまり、物質的な不変、永遠はないということ。

諸法無我は、前述した諸行無常を踏まえると、見えるもの聞こえるもの、外から入ってくる情報は絶えず変化し続けている。昨日綺麗だった花も今日は枯れていたりする。だから、厳密に言えば感じることも1秒ごとに変わる。つまり、精神的な不変、永遠もないということ。

で、諸行無常諸法無我はお互いに影響し合っていて、さっきは諸行無常を用いて諸法無我の説明をしたけど、人がこの花邪魔だなあと思って切ってしまえばそこに花はなくなるわけで、感じることが変わるから物質も変わるということですよね。

 

物質的にも精神的にも不変、永遠、つまり「絶対」は無いってことだと思います。

 

お気づきでしょうか。

わたしが2月に考え至った「人に個性はない」は、諸法無我だったんです!

もっと踏み込めば自然にも絶対はなかった。無我ループ。

宇宙に放り出されたとおもったけど、全然昔に人が踏み入れた地でした。あ〜〜よかった

(そこで、才能って、身の回りのものから優秀なパターンを鋭く感じ取る能力なのかなと思ったりもしました。)

 

自己解釈ゾーンに戻ります。

 

で、一切皆苦。結局この世はすべて苦である。

そんなこと言うなよ…と思いますが、意味としては、絶えず変化していくこの世の中では、生まれること、老いること、病むこと、死ぬことにはどうしたって抗えない。この四つを四苦というとか。

加えて、愛する人と離れること(愛別離苦)、嫌な人と出会うこと(怨憎会苦)、求めても得られないこと(求不得苦)、得ても満たされないこと(五蘊盛苦)からも逃れられない。この四つを足して八苦というとか。

生きている限りベースには苦がありますよと、そういうことですね。

 

そして最後に涅槃寂静

苦には抗えないので、抗えないという事実を受け入れること。すべての変化を受け入れること。これが悟りで、悟った先にある落ち着きこそは、不変も永遠もない不確かな世において唯一絶対でありますよと。そういうことなんだそうです。(たぶん)

 

これでひとまず四法印の説明を終わります。はあ

 

 

聡マリと悟り

ここから聡マリの話になります!ようやく!

 

で、ここまで調べたところであるものを思い出しました。

古くからのSexy Zoneファンの方はご存知かと思いますが、2014年発行、当時13歳だったマリウスくんが掲載されている「MEKURU」というカルチャーマガジンです。

今は廃刊になっているそうですが(そうだったんだ)、写真もテキストも秀逸で、テキストに関しては13歳のマリウスが持つ人生に対する哲学がかなりしっかり書かれていてものすごく読み応えのある内容でした。

そこからわたしが頭に浮かべた部分を抜粋します。

 

僕が思うには、人生っていうのはずっと映画みたいなもので、ずっとドラマで、ずっとロマンスだと思ってて。自分の人生の台本を読んで、演技をしている感じなんですね。(略)だから、なんか面白くなってきましたね、生きることが。落ち込んでるときも、落ち込んでる人じゃない人になればいいと思うし。ドラマの台本と同じで、「ここはもうちょっとこうしたほうがいいんじゃないですかね」っていう感じで自分を変えていけばいいと思う。

 

要約すると、"自分の人生を俯瞰で見て、一時の出来事や感情に支配されず、どんな時でも楽観的に考えればいいじゃないか"ということを言っていますね。

 

…これってものすごく悟りに近い感覚。

 

 震災にあった日本を笑顔にしたいと11歳で来日し、不慣れな日本文化に翻弄されながらも人々の幸福のためアイドル活動に励んでいた13歳のマリウス。

元々徳の高い少年でしたが、彼の中には既に悟りという絶対の境地が存在していたんですね。。すごい。。。

 

そしてもう一つ、芋づる式に思い出されたのは、2018年5月7日のSOGOODDAY(聡ちゃんのwebブログ)。

辛くなった時
僕はいつもマリのこの言葉
「人生は一度きり。
だから、自由気ままに
辛い事も楽しいって
思いながら楽しもう」
この言葉に救われてる(笑)
いや、普通に考えて
辛い事も楽しいって思えるほど
ポジティブになれないけど、
でも確かに人生一度きりだから
何ごとも生きてるって
実感させてくれてるんだ!
って思うと、ちょっと
気が楽になるんだよね。

 

要約すると、"マリウスの考え方は正しいけどやり方は難しいから、辛い時は辛いと感じていいからその辛さを「生きている喜び」と解釈しよう"ということを言ってますね。

 

…これ、すごくないですか。

悟りの難しさと自分のキャパシティを理解して、自分なりの解釈で悟りを実践しているんですよ。。

 

去年くらいにペラっと読んだ論語の本の冒頭に「富にして驕ること無きは易く、貧しくして妬むこと無きは難し」という言葉がありまして、活字本が苦手ゆえ半分も読まずに本は閉じてしまったのですが、わたしはその言葉がすごく心に残りまして。

そのまんま"恵まれた人が驕らないでいることより恵まれていない(と思っている)人が妬まないでいることの方が難しいですよ"という意味なんですが、語弊を恐れずに言うと、聡ちゃんはあらゆる面でマリウスより恵まれていないと思うんですね。恵まれていないって言ったらアレですけど、まあ、マリウスのとんでもスペック(実家は6階建1100平米で高祖父の代は皇族とも関わりがあった家柄の現役上智生)に比べたら普通の子じゃないですか。

もちろん恵まれた人が全員驕らず奉仕精神を持てるかと言われたら絶対にNOなのでマリウスも十二分に凄すぎるんですけどね。

で、聡ちゃんが、できないことはできないと、ちゃんと自分のキャパを理解して、その上で悟りを実践しているって、もうこれは凄いことだと思います。

 

 

悟りってなんだろう

聡マリが悟りを理解しているのがわかったところで、どうして聡マリは悟りを理解しているのか考えました。

 

そもそも悟りって何のためにするのか。

先述した通り、悟りとは"絶対などないと理解してすべてを受け入れること"だと思います(厳密に言ったら違うのかもしれない。学のない素人が数日で考えたことなので。。)

では何のために悟るのか。

 

わたしは"自分を許す""他人を許す"の先にあるのが悟りなんじゃないかなと思いました。

 

たとえば貧乏とか、頭が悪いとか、足が短いとか又は無いとか、すごい天パとか、人からバカにされる要素が自分にあったとしても、それは"絶対"バカにされなきゃいけないものではないわけで。そもそも優劣の判断基準に絶対などなくて、というか優劣そのものが虚構なんですよ。たぶん。

だから誰にもバカにされる必要はないし、誰かをバカにする権利もなくて、人をバカにして得た自己肯定感も虚構だし、人にバカにされて自己否定するのも詰まるところ意味がない。

 

自分を許すと他人を許すって、結局はこの世に存在する全てをありのまま認める優しさなんですね。

綺麗事に聞こえるかもしれないけど、この世に存在する全ての矛盾を紐解いて正当化したら"意味はない"にしかたどり着かないというシニカルな言い方もできます。

迫害されるために生まれて来たなら何でこんな辛いねんという話だし、何もないなら死んだっていいだろというなら悟りもいらないし、やっぱりみんながありのまま幸せを感じられる可能性を守る考え方なんじゃないかなあと、基本ハッピー思考なわたしはそう思うんですね。。

 

つまり聡マリって、優しさで悟りに辿り着いたんじゃないかと思うんです。

全てを許す優しさの先には悟りがあって、そして悟ったらばそこにはあらゆる呪縛を解き放つ自由があるなと聡マリを見ていて思いました。優しさって自由さ(柔軟さ)なんですね。

 

(何もないから良いも悪いも主観をなくそうみたいな考え方もあるみたいで、それが本当の意味での悟りなのかもしれませんが、個人的には死ぬまでにそれは無理かなと思ったので思いっきり個人的解釈です、、)

 

 

So what?Yolo!

ようやく本題です。。長かった

 

そんな優しさによるそれぞれの悟りを手に入れた聡マリが我々に教えてくれた"So what?Yolo!"という言葉と素晴らしいコンサートなわけですが、So what?Yolo!の終盤で流れる聡マリから我々へのメッセージは以下の通りです。

(予備知識として、So what?Yolo!は絵本の世界という設定です)

 

今日のお話はいかがでしたか?

人生には、喜怒哀楽があり楽しいことばかりではありません。涙で前が見えなくなる日もあります。

でも、、、、

SO WHAT!?(だから何?)

人を愛するには、まずは自分を愛さないといけません。

過去の失恋は、必ず未来の貴方を強くしてくれます。

貴方は、この世界で産声をあげた時から、すでに必要で大切な人間です。

自分を探す前に、まず自分と向き合ってみてください。人は、明確なライバルがいる事で、想像以上のチカラを発揮します。ライバルと刺激しあい、尊重し合うことが成長の一歩です。

自分をうまく表現する方法がわからないというあなた。人と比べる必要はありません。自分は自分なのです。

これまで歩んできた人生を一度振り返ってみてください。時間は戻せません。後悔は取り返しがつきません。でも、その経験が、今の貴方を作っているのです。

人生には様々な事があります。

考えさせられる事ばかりです。

僕たちが皆さんに伝えたい事。それは、、、

YOLO!人生は一度きり!

貴方自身にどんなことがあろうとも、僕たちが付いています。一日一日を大切に、楽しみながら生きましょう。

だから、"Make My Day"!

この先も皆さんの人生が輝いていますように。

途中、なんか箇条書きみたいなかんじになってますが、これはSo what?Yolo!全体のセトリを追って人生の大切な教訓を挙げているんですね。

実際映像を見ればメッセージの隣に該当する部分の映像が流れるのでわかりやすいかと思います。

 

つまり、聡マリが我々に言いたいことって

自分の人生を一生懸命生きましょう!!

てことなんですよね。

 

聡マリは、まさに目の前のSo what?Yolo!というコンサートを一生懸命やることでそれを伝えているわけです。

そして、なんで聡マリがそんなことを言うかというと、

聡マリが今まで一生懸命生きてきたからだと、、わたしはそう思うんですね。

 

2人とも10代前半、マリウスに至っては11歳からアイドル活動をしています。大変なこともあったでしょう。聡マリはあまり人前で弱音を吐かないのであえて書くのは心苦しいですが、きっと辛いこともあったでしょう。ていうか生きてたら辛いこともあるさ。涙で前が見えなくなる日もある。それは当たり前のこと。

でも聡マリは、一生懸命やってきた。

 

もうおわかりかと思いますが、So what?Yolo!って悟りなんですね。

 

どうしたら悟れるかって言ったら、一生懸命生きること。一生懸命生きたら、心から辛いことも心から楽しいこともある。そこで見える本当の自分がある。そして自分と向き合って、どう考えたら自分が心の底からSo what?Yolo!と思えるかを考える。

 

So what?Yolo!って、言葉を鵜呑みにして無鉄砲に生きるんじゃなくて、どうしたらちゃんと理解して心の底からそう叫べるようになるかという道標なんですね。

 

マリは自分の人生を映画のように考えることで、聡ちゃんは辛さを生の実感と考えることでSo what?Yolo!と叫べる。一生懸命生きてきたから自分なりのSo what?Yolo!への道が見つかっているのでしょう。

このへんよくできていて、聡マリは聡とマリ、2人いるからこの"自分のやり方で"というメッセージが色濃くなるんですよね。

ほんとこれに思い至った時は勢い余って「ブッダにもキリストにも足りなかったのは聡ちゃんなんや…」などと世が世なら場所が場所なら死刑みたいなこと言ってしまったんですが(誤って読んでしまった熱心なソレの方はすいません、殺さないでください)、でも、きっと我々がどちらに近いと言われたらたぶんマリより聡ちゃんという人のが多いと思うんですよ。。わたしはマリなんですけど…(実家は二階建てです)(もっと言うといちばん共感するのはケンティ…)

 

 

しかしきっと聡マリだって発展途上。

ていうか人間ずっと発展途上。

明日がある限り青春時代なんだよってプッチモニ。も言ってました。(この歌詞すごく好きだな・・・・・)

人にバカにされたら凹むし、人をバカにして得る自己肯定感も理解できちゃう。そんなに強くはなれねえんだ人間は。

 

でも、だから、聡マリがついてる・・・・・

 

と、思うと、いーや頑張ろ!って少しは思えるようになりますね。少なくともわたしは思います。あんなに良いコンサートを見せてくれた聡マリがいるんだからわたしも頑張ろ〜と思えます。

わたしもねえ、頑張らなあかん、人生。わたしはもうちょっと頑張らなあかんとこにおる!

 

 

 

というわけで、なんか小難しいことまで色々話してしまった結果みんなわかっとるわいみたいな結論に至りましたが、わたしはSo what?Yolo!ってかなり完成された哲学だなーと思いました。

思えば仏教もキリスト教も書物に残したのは確か弟子じゃなかった…?と思って頑張って書きましたが、長えし、、やっぱりわかりにくいとこもありますよね〜😂

やっぱ大勢に向かってブログ書くのとか苦手意識があるのでできることなら一対一で話したい。。

 

そもそも仏教も哲学も特別学んだことがなくてすべて自己解釈なので、専門の方は生ぬるい目で見てくださるとありがたいです。。ゴメンネ…

でもまあ、、書くか〜!と思って書きました。

あんまりいないかもですが最後まで読んでくれた方、ありがとうございました。愛してます。kiss

 

 

はあ〜

シメか、、、

まあ なんていうか

 

 

 

 

!👊😄